アバウト スタッフ”舎川朋弘”

About Staff "Tomohiro Tonegawa"

About Staff "Tomohiro Tonegawa"
of Color Sport Club

 

Photo:Hiroya Nakata

舎川 朋弘

Tomohiro Tonegawa

カラースポーツクラブ代表
現在に至るバックカントリシーンを築いた草分け的存在。90年代初頭よりゲレンデ外に目を向け、厳冬期における山岳スキーシーンを切り開いてきた人物である。テントで暮らすというユーモア性も併せ持ち、海外活動を経ると同時に代名詞となる白馬全域のフィールド開拓を達成した。そして、パイオニアワークは続いている。

愛称はトネサン。
基本で丁寧なガイディングに定評のあるトネサン、ただ時にだんだんと力が入っていくというお茶目な場面に出くわすことがある。そんなときはこう思おう。このタイミングはきっと山の状態が良いコンディションにあるということ。その時々におけるフィールド状況の把握からライン引き、滑りを提供するテンポと安全の確保、そして開拓してきたエリアとルートへ導く引き出しの多さと完成度の高さを提供する。白馬そして日本のバックカントリーシーンの移り変わりを見てきた先駆者としても知られます。是非ご一緒してみましょう!トネサン、こんなコンディションや天候の時はどこがいいの?と質問もしてみてください。きっと勉強にもなる情報が引き出せます。バックカントリー界におけるメディア出演や書籍を持ったりもします。
少し行き過ぎたガイディングも玉に瑕?なんてこともあるようですがその分その時はまれにみる良いコンディションなんだということです。
 

  


 
Guide:バックカントリースキー&スノーボード、バックカントリースキルアップキャンプなどを主に担当
マテリアル:スキー
サマーアクティビティー:登山、サーフィン
他趣味:読書
 
・公益社団法人日本山岳ガイド協会 山岳ガイド資格ステージⅡ
・公益社団法人日本山岳ガイド協会 スキーガイド資格ステージⅡ
・北アルプス山岳ガイド協会
・信州登山案内人(白馬山案内人組合員、同組合副事務局長)
・白馬マイスター(白馬の職人)
・中部山岳 国定公園 国立公園 保護指導員
・北アルプス北部地区山岳遭難防止対策協会山岳遭難救助隊員
・特定非営利活動法人日本雪崩ネットワーク(JAN:Japan Avalanche Network)雪崩業務従事者レベル2
・日本赤十字社救急法救急員
・国内旅行業務旅程管理者
・体育学修士
 
サポート:Permanent UnionTONES SKIK2 skiBOOTHESTRAPOCPLUS ONE WORKSbcaACLIMA, COLOR SPORT CLUB.
  
1988年
・経験がなかったわけではないが、このころから年に数回いろんなことを行なうようになる。
1990年
・スキー及びスノーボードにおける板、ブーツなどのチューンナップ、メンテナンス、取り付けなど、総合的な技術職を務め始める。
1992年
・スキー場外に興味を持ち、板を担ぎ、登り、そして滑ることを始める。
・COLOR SPORT CLUB(カラースポーツクラブ)の発足。
1993年
・カナダにスキートリップ。
・立山周辺での活動を始める。
1994年
・白馬に住み込み、活動を行なう。
・唐松岳に至る尾根沿いの開拓を始める。
・アラスカにクライム&スキートリップ。
・白馬岳、富士山、剣岳などでの活動を始める。
1995年
・白馬に住み込み、活動を行なう。
・白馬唐松にてスコットシュミッド、またジェイソンモアーそれぞれの撮影ガイドを務める。
・日本体育大学大学院 体育学研究科 修士課程入学。
1996年
・白馬でのテント生活にて、活動を行なう。
・唐松岳不帰二峰の南峰(オーワイド)、三峰(スクラッチ)を滑る。
・谷川岳周辺での活動を始める。
1997年
・白馬でのテント生活にて、活動を行なう。
・五竜岳に至る尾根沿いの開拓を始める。
・日本体育大学大学院 体育学研究科 修士課程修了。
・日本体育大学 研究員。
1998年
・白馬でのテント生活にて、活動を行なう。
1999年
・白馬乗鞍岳、小蓮華岳に至る尾根沿いの開拓を始める。
・唐松不帰二峰の北峰(ゴーストレイト)を滑る。
・日本体育大学研究員 退職。
・スイスに約半年間の登山留学(同時にトレッキングガイドを務める)。
・ヨーロッパアルプスにて約一ヵ月半の間に4,000m級以上の山(マッターホルン4478m、ブライトホルン4164m、ポリュクス4092m、カストール4228m、チナールロートホルン4221m、メンヒ4099m、ユングフラウ4158m、アラリンホルン4027m、アルプフーベル4206m、ワイスミース4023m、レッギンホルン4010m)を11個登る。
2000年
・白馬でのテント生活にて、活動を行なう。
・白馬にてCOLOR SPORT CLUB(カラースポーツクラブ)を創業。
2001年
・鹿島槍ヶ岳の開拓を始める。
・杓子岳の開拓を始める。
・白馬鑓ヶ岳周辺での活動を始める。
2002年
・唐松不帰二峰の中央尾根(ノーズダイブ)を滑る。
2003年
・唐松不帰二峰の真中(極真)を滑る。
・ヨーロッパアルプスにてモンブラン4807m、タキュル4248mをそれぞれ登る。
2004年
・唐松不帰一峰(2200m地点より)を滑る。
・白馬鑓ヶ岳逆くの字ルンゼを滑る。
・唐松不帰二峰の北峰北壁ルンゼを滑る。
2005年
・唐松不帰二峰の真中(極真)をダブルアックスで登る(ソロ)。その後不帰二峰北峰(ゴーストレート)を滑る。クライム&スキーダウンを実践。
2006年
・飲食店開業(白馬駅前)に伴い、店舗の拡大を図り始める。
・スキー形状の可能性に興味を持ち、新たなデザインを描き、そして手を加え続けることを始める。
・TONES SKI(トーンズスキー)の発足。
2007年
・天狗岩稜(2200m地点より)を滑る。
2009年
・杓子北東ルンゼ3のクライム&スキーダウンを実践。
2010年
・COLOR SPORT CLUB(カラースポーツクラブ)を、駅前の白馬町地区から現在の白馬バレー中心地に当たる深空地区へ、それまでのサービス施設を総合し新たな宿泊サービスを伴った複合施設、ロッジクラブハウスとして移転する。
2016年
・TONES SKI(トーンズスキー)を創業。
2017年
・唐松不帰二峰の中央最難(チョコチップ)から三角壁をつなぎ滑り、二峰すべてのラインを完成させる。
・「いまから始める山スキー入門」(山と溪谷社)、共著。
2023年
・”Freeride World Tour白馬”大会の安全管理運営における代表を務める。そして、同大会にて最もクオリティーの高い一つと称賛されるビックフェイス”MIX-LONG”での開催を実装し実現させる。
  

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